【プロフィール】聞き分けのよかった子供の頃、でも海外に行きたい思いはゆずれなかった…②

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国際結婚をして、海外に住んでいると「どうして、海外に住んでいるのですか?」

「どのような成り行きで国際結婚されたのですか?」等、国際結婚が珍しくなくなった今でもよく聞かれますし、聞いてもらえます(´艸`*)

 

やっぱり、関心をもってもらえるとうれしいものですよね。

そして、ブログを書いていると必ず聞かれることでもあると思うんですね。

 

というわけで、ブログを書いている人間がどんな人間かを知ってもらうきっかけとして、自分自身の半生(笑)を改めて振り返る意味も込めて…何回かに分けて自分の今までのことを書いていますので、読んでいただけたらうれしいです。

 

こちらは、幼少からの学生時代をザックリと自己紹介。 

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 4.女ばかりの職場。そこは世界の縮図だった

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 私が働き始めたのは、バブル全盛期と言われた頃のことでした。

入社したのは、関西にある某百貨店。当時、ものすごい人数の新入社員が同期で入社しました。研修も十分な時間があり、社会人としての心構えから、化粧の仕方、標準語の発音、仕事のことなど...今考えると贅沢な研修期間でした。まだ、配属先は決まっていなかったので、部署への配属後は、また新たな実習がありました。

 

研修の後、わたしは百貨店の受付エレベーターガールが所属する部署へと配属されました。今では、過去の職業を聞かれたらあまり言いたくないのですが、当時は、少しばかりもてはやされていた職業の一つでした。

 

 

プレタポルテデザイナーオリジナルデザイン制服帽子手袋ヒールを穿き、普段は普通の冴えない女性も、当時の濃い化粧とあの制服を着たら何となくいい女に見えました。

 

最初の数年は、毎日の中に変化があって、多くのお客様と会えることやお手伝いをすることに喜びを感じていました。何よりも巨大企業…入社後はいろいろな人との出会いがあり、そのことが仕事を面白くもしていました。時々、有名人と会えるのもうれしかったです。ミーハーですね。

 

仕事自体はやりがいはありました。でも、時間が経つにつれて「自分のもっと成長が出来ることをしたい」と思うようになりました。でも、それが何かわからず当時はいろんな習い事をしたり、遊びに行ったり、何かを常に求めていました。

 

 働いて3年が過ぎたある日、偶然に見たオーストラリアの雄大な景色に妙に引き付けられました。赤茶けた大地、澄み渡る空、カラフルなサンゴ礁、青い海、熱帯雨林に広がるジャングル...何もかもに魅了されました。

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それからというものオーストラリア関連の書籍を読みました。自分の目で見たい、経験したい、オーストラリアに暮らしたい。出来るなら英語が喋れるようになりたい。

 

そんな中で見つけたのが当時はまだ、オーストラリア、ニュージランド、カナダしか行けなかったのですが、今ではとってもメジャーなワーキングホリデービザの存在を知るようになりました。働きながら旅行も出来て、勉強も出来、そこの国に1年滞在できる。「こんないい話ってある!!!」

 

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わたしの思いに火がつきました!!!

 

一度、「これ !」と思い始めたら、どうにも熱くなってしまって止まらない私。

早速、ワーキングホリデービザに関して調べまくり、準備を整えていきました。

 

しかし、両親が反対。その時のわたしは、両親の反対を押し切ることが出来ず...

その時の計画は、振り出しに...

 

でも、日が経つにつれて思いは募るばかり…

 

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オーストラリアに行きたい。長期で海外に暮らしてみたい。

何かを見つけたい、いろんな人に出会いたい、いろんな事に挑戦したい。

行かなきゃ、後悔する...。

 

挑戦するには日本でもよかったのかもしれないけれど、

当時の私はオーストラリアにこだわりました。

 

オーストラリアへの思いは熱くなるばかりで諦めることが出来ず。

 

一度反対されてから約10か月。

再度、両親には、反対されたけれども「オーストラリアへ行くと告げ」、それからすぐに1ヶ月通知で会社にも退職届を出しました。

 

周りの人たちには、「失業保険をもらってから、行ったほうがいい。」「滞在場所も学校も決めてから行った方がいい」と勧められましたが、失業保険をもらうまでの時間さえももったいないと思ったのと、すべて自分の目で見て決めたいという思いで…何も決めずに飛行機のチケットとスーツケースひとつに荷物を詰めて、退職後、すぐにオーストラリアへ向かいました。

 

5.見たこともないものを見つけに海外へ

空港まで見送りに着てくれた、たくさんの友だち。そして、笑って見送ってくれた父、母。数年後に父から聞いたのですが、母はわたしがオーストラリアへ飛び立ってから数日間寂しさのあまり泣いていたそうです(知らなかった...)

 

 希望でいっぱいの気持ち今まで貯めた貯金とわたしを待っているオーストラリア未来にワクワクして、前してみていなかったわたし。

 

そんな両親の深い思いは計り知ることができませんでした。

 

そして、この旅立ちを機にわたしは海外と縁の深い人生を歩むことになったのでした。

 

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未知の世界へ…

未来を求めて…

新しい自分を見つけに…

 

続く…

 

 

幼少時代のわたしは…自分の意思をそんなに持っていないような子でした。

でも、本当にやりたいことが見つかった時の思いは…

だれも、止めることが出来なかったです。

ヒトって、そういう思いがあれば、何でもできてしまうものなのかなと思います。

 ああ、あの頃の情熱が欲しい~(笑)

 

 

ろみい

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